「悪気がない」は、言い訳にならないかもしれない

こんにちは、しょうえいです。

今日は、日常の中でふと気づかされた、ある出来事について書いてみたいと思います。

親しみのつもりだった、ひと言

ある日、ささやかな会話の中で、私は軽い冗談を口にしました。

その場の空気を和ませようとしたつもりで、親しみもこめていました。

もちろん、悪意なんてまったくありませんでした。

でも、そのあとすぐ、相手の表情がふっと曇ったのを見たんです。

「あれ……?」と違和感が胸に残りました。

そのまま会話は続きましたが、自分の中では何かが引っかかっていました。

後からじわじわと湧いてきた後悔

一人になってから、心の中であの場面が何度も繰り返されました。

「言わなきゃよかったかな」

「なんであの言葉を選んだんだろう」

時間が経てば経つほど、なんとも言えない後悔が大きくなってきました。

そしてふと、「悪気がなかったから許される」と、どこかで思い込んでいた自分がいたなと反省をしました。

言葉は、自分の手を離れてしまう

どんな気持ちで発したか、ということよりも、どう伝わったか、どう受け取られたかのほうが、もしかしたら大事なんじゃないか。

そんなことを考えました。

自分の中では冗談でも、相手にとってはそうではなかったかもしれない。

そのすれ違いが、静かに心を傷つけてしまっていたら――

どんなに「そんなつもりじゃなかった」と言っても、それは結局、自分を守るための言い訳になってしまう気がします。

気づけてよかった、けれど

こうして文章にしている今でも、少し苦い気持ちがあります。

でも、こうして「自分の中にあった思い込み」に気づけたことは、ある意味ありがたいことだったと思っています。

今度はもっと、言葉を選べる自分でありたい。

同じ場面がまた来たとき、相手の表情にちゃんと気づけるように。

そして、自分の言葉がどこまで届くのかを、もっと丁寧に感じ取れるように精進したいと思います。

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