“大丈夫”と言えない自分に気づいた日

こんにちは、しょうえいです。

今日は、「誰かに悩みを打ち明けられたとき、自分はどう受け止めているだろう?」という問いをめぐって、

最近感じたことを言葉にしてみたいと思います。

「大丈夫だよ」と言えなくなった

以前の私は、誰かが悩んでいたら、自然に「大丈夫だよ」と声をかけていました。

しかし、あるときから「大丈夫」と言おうとしても、言葉が出てこない。

昔なら言えていたその一言が、今は言えない。

そんなことがありました。

その理由に、少しずつ気づきはじめた

もしかしたら、相手の状況が分からないからかもしれません。

どれだけつらいのか、どんな背景があるのか──

想像しきれないのに、「大丈夫」なんて言ってしまったら、その言葉に責任が持てないような気がして。

「そんなつもりじゃなかった」が、誰かを傷つけてしまうかもしれない。

本当に相手を思うからこそ、軽々しく言えない。

そんな自分がいることに、最近ようやく気づけた気がします。

共感の言葉すら、慎重になる

「わかるよ」「私も同じだった」──

そう言いたい気持ちはあります。

でも、それが相手の話を“私の話”にすり替えてしまうこともあると知ってから、言葉を選ぶようになりました。

たとえば「うんうん、私もさ…」という流れで話を続けたとき、相手がそれ以上何も言わなくなる瞬間が、過去にありました。

そのときの沈黙が、今でも頭の片隅に残っています。

何も言えないと「冷たい人」になってしまうのでは…?

それでも、何も言わないままではいけないような気もしてしまいます。

「聞いているよ」「あなたの話を大事に思っているよ」

それを伝えたい。でも、うまく言葉にできない。

ただ黙ってうなずいているだけでは、無関心に見えてしまうかもしれない。

そんな不安やもどかしさが、ずっと胸の奥に残ります。

だから、こんな風に言うようになりました

最近は、「大丈夫」と言えない代わりに、こんな言葉が頭の中に出てくるようになりました。

「うまく言葉が出ないけど、ずっと考えてる」

「すぐに答えは出せないけど、大事なことだと思ってる」

「分からないけど、分かろうとは思ってるよ」

これが正解なのかどうかは分かりません。

でも、言葉の正しさよりも、届こうとする姿勢のほうが大事なのかもしれない。

最近はそう思うようになってきました。

自分と相手の「世界」は、やっぱり違う

これは当たり前のことなんだけど、深く受け入れるには時間がかかりました。

どれだけ近くにいる人でも、どれだけ気持ちを分かち合ったつもりでも、結局は別々の世界で生きている。

だからこそ、相手の話を“理解しようとする”には、しっかりと向き合うことが必要なんだと思います。

“わかってるつもり”にならないために

「こうすれば元気になるよ」

「この考え方をすれば、楽になるよ」──

そう言いたくなる気持ちも、あります。

でも、相手が本当に求めているのは、“答え”ではなく、“ただ話を聞いてもらうこと”だったりする。

それを忘れないように、私は「沈黙を怖がらないこと」も、大切にしたいと思うようになりました。

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